東京高等裁判所 平成9年(行ケ)241号 判決 1999年2月09日
大阪府大阪市中央区南本町一丁目6番7号
原告
帝人株式会社
代表者代表取締役
安居祥策
訴訟代理人弁理士
前田純博
同
三原秀子
同
鈴木雅彦
東京都千代田区霞が関三丁目4番3号
被告
特許庁長官
伊佐山建志
指定代理人
喜納稔
同
後藤千恵子
同
小林正巳
同
廣田米男
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 原告が求める裁判
「特許庁が平成9年異議第70893号事件について平成9年8月12日にした特許異議の申立てについての決定を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
第2 原告の主張
1 特許庁における手続の経緯
原告は、平成元年2月1日に発明の名称を「ポリエチレン-2、6-ナフタレートフイルム」とする発明(以下「本件発明」という。)について特許出願(平成1年特許願第20862号)をし、平成8年6月14日に特許権設定の登録(特許第2528960号)を受けたが、平成9年2月27日に特許異議の申立てがあった。
特許庁は、これを平成9年異議第70893号事件として審理した結果、平成9年8月12日に「特許第2528960号の請求項1ないし5に係る特許を取り消す。」との決定をし、同年9月16日にその謄本を原告に送達した。
2 本件発明の特許請求の範囲
別紙決定書写しの理由1のとおり
3 決定の理由
別紙決定書写しの理由2以下のとおり(なお、決定における「刊行物」を以下「引用例」という。)
4 決定の取消事由
各引用例に決定認定の技術的事項が記載されていること、本件発明と引用例1記載の発明が決定認定の一致点と相違点を有することは認める。しかしながら、決定は、相違点の判断を誤り、かつ、本件発明の作用効果を看過した結果、本件発明の進歩性を否定したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
(1)本件発明の請求項1記載の発明(以下「本件第1発明」という。)と引用例1記載の発明との相違点の判断の誤り
決定は、引用例2記載の発明のフイルムの表面特性の数値が、本件第1発明のフイルムの表面特性の数値とほぼ一致すると認定したうえ、引用例1記載の発明に引用例2記載の表面特性を採用して本件第1発明を構成することは当業者が容易に想到しえたことである旨判断している。
しかしながら、引用例2記載の発明のフイルムは、「主たる繰り返し単位がエチレンテレフタレートからなるポリエステル」(4頁右上欄4行ないし6行)を材料とするものであって、引用例1記載の発明のフイルムの材料であるポリエチレンテレフタレートとは、ポリマーの種類を異にする。そして、同じフイルムであっても、ポリマーの種類の相違によって、利用しうる分野が異なることは周知であるから、引用例2記載の技術的事項を引用例1記載の発明に適用することは困難というべきである。
のみならず、本件第1発明の「突起分布曲線の最大値より大きい部分の曲線がlog10y=-12x+3.7と交叉し」という要件と、引用例2記載の発明の「突起分布曲線の最大値より大きい部分の曲線が式log10y=-18x+3.7と交叉し」(1頁左下欄7行ないし9行)という要件とは、突起分布の内容において異なっている。すなわち、別紙参考図(<1>ないし<6>は本件第1発明の実施例(なお、△を付した1ないし6は比較例)であり、A・Bは引用例2記載の発明の実施例(なお、C・Dは比較例)である。)に表されているとおり、両者は、突起数と突起高さとの関係を満足する領域が明らかに異なっており、引用例2記載の発明の要件を満足しない<5>及び<6>も、本件第1発明の要件を満足するのである。
また、引用例2記載の発明の各実施例は、いずれも、本件第1発明の「縦方向のヤング率(My)と横方向のヤング率(Ty)のいずれも650kg/mm2以上で且つその差|My-Ty|が200kg/mm2以下」との要件を満足しないものである。
したがって、引用例2記載の発明のフイルムの表面特性の数値と、本件第1発明のフイルムの表面特性の数値の違いは微差にすぎず、本件第1発明の要件である表面特性の数値は試行により容易に見出しえたものであるとする決定の判断は、誤りである。
(2)本件第1発明の作用効果の看過
決定は、本件第1発明のフイルムの電磁変換特性は引用例2記載の発明のフイルムの電磁変換特性と同程度である旨判断している。
しかしながら、本件第1発明のフイルムの電磁変換特性は、引用例2記載の発明のフイルムの電磁変換特性を上回るものであるから、決定の上記判断は、本件第1発明によって得られる作用効果の顕著性を看過したものであって、誤りである。
(3)本件発明の請求項2記載の発明(以下「本件第2発明」という。)と引用例1記載の発明との相違点の判断の誤り
決定は、引用例2記載の発明のフイルムは、前記表面特性に加えて、「70℃で1時間無荷重下で熱処理したときのフイルムの縦方向の熱収縮率が0.1%以下」(1頁左下欄13行、14行)の特性を有するから、引用例1記載の発明に引用例2記載の発明の表面特性を適用するに際して、引用例2記載の発明の熱収縮率特性をも適用することは容易になしえた旨判断している。
しかしながら、引用例1記載の発明の要件である熱収縮率が、磁気テープの製造工程における高温条件に耐えるフイルムの寸法安定性を意図しているのに対し、引用例2記載の発明の要件である熱収縮率は、磁気テープの長期使用に耐えるフイルムの寸法安定性を意図するものであって、両者の熱収縮率は技術的意義を異にするものである。
したがって、引用例1記載の発明に引用例2記載の発明の表面特性を適用するに際して、引用例2記載の発明の熱収縮率特性をも適用する動機付けは存在しないから、決定の上記判断も誤りである。
(4)なお、決定は、本件第2発明及び本件発明の請求項3ないし5記載の発明について、その他の点の判断は本件第1発明に対する判断と同じである旨の説示をしている。
しかしながら、本件第1発明と引用例1記載の発明との相違点の判断が誤っていることは前記(1)のとおりである。
第3 被告の主張
原告の主張1ないし3は認めるが、4(決定の取消事由)は争う。決定の認定判断は、正当であって、これを取り消すべき理由はない。
1 本件第1発明と引用例1記載の発明との相違点の判断について
原告は、引用例2記載の発明のフイルムと引用例1記載の発明のフイルムとは、材料であるポリマーの種類を異にするから、引用例2記載の技術的事項を引用例1記載の発明に適用することは困難である旨主張する。
しかしながら、ポリエチレンテレフタレートとポリエチレン-2、6-ナフタレートは、ポリエステル樹脂の代表的な物質であって、いずれも本出願前から磁気記録媒体のベースフイルムに使用されているものである。したがって、それぞれのフイルムから製造される磁気テープは、ベースフイルムの特性・性能に応じて適用される機器が異なるとしても、磁気記録媒体として同一の技術分野に属しており、表面特性の改良技術においても共通する点が多いから、原告の上記主張は失当である。
また、原告は、本件第1発明と引用例2記載の発明とは、突起数と突起高さとの関係を満足する領域が異なる旨主張する。
しかしながら、別紙参考図によれば、本件第1発明のフイルムの表面状態と、引用例2記載の発明のフイルムの表面状態とが、ほとんど重複することは明らかであって、本件第1発明の実施例である<1>ないし<4>は、引用例2記載の発明の表面特性の要件を満足している。そして、本件第1発明の特定線分の要件は、引用例2記載の発明の要件である特定線分の傾き(-18)を、より小さな値(-12)に変更し、許容される突起分布を広げたものにすぎないから、原告の上記主張も失当である。
なお、被告は、引用例2記載の発明の各実施例は、いずれも本件第1発明の2軸方向のヤング率とその差の要件を満足しない旨主張するが、決定は、この要件を満足するフイルムは引用例1に記載されている旨説示しているのであるから、原告の上記主張は意味がない。
2 本件第1発明の作用効果について
原告は、本件第1発明のフイルムの電磁変換特性は、引用例2記載のフイルムの電磁変換特性を上回るから、決定は本件第1発明の作用効果を看過している旨主張する。
しかしながら、本件第1発明のフイルムの電磁変換特性が引用例2記載のフイルムの電磁変換特性効果を上回ることを認めるに足りる証拠はない。
3 本件第2発明と引用例1記載の発明の相違点の判断について
原告は、引用例1記載の発明の要件である熱収縮率が、磁気テープの製造工程における高温条件に耐えるフイルムの寸法安定性を意図しているのに対し、引用例2記載の発明の要件である熱収縮率は、磁気テープの長期使用に耐えるフイルいの寸法安定性を意図するものであるから、引用例1記載の発明に引用例2記載の発明の表面特性を適用するに際して、引用例2記載の発明の熱収縮率特性をも適用する動機付けは存在しない旨主張する。
しかしながら、引用例1記載の発明のフイルムについて、「磁気テープの製造工程における高温条件に耐えるフイルムの寸法安定性」(すなわち、150℃で測定した熱収縮率)に加えて、「磁気テープの長期使用に耐える寸法安定性」(すなわち、70℃で測定した熱収縮率)をも意図することは、技術的に何ら不合理ではないから、原告の上記主張は失当である。
理由
第1 原告の主張1(特許庁における手続の経緯)、2(本件発明の特許請求の範囲)及び3(決定の理由)は、被告も認めるところである。
第2 甲第10号証(特許公報)によれば、本件発明の概要は次のとおりと認められる。
1 技術的課題(目的)
本件発明は、長時間記録が可能で高画質の磁気記録媒体の製造に有用な、ポリエチレン-2、6-ナフタレートフイルムに関するものである(1欄27行ないし30行)。
磁気記録テープの記録時間を長くするためには、ベースフイルムを薄くして、より長いテープをリールに収納する必要があるが、ベースフイルムを薄くすると、テープが傷付いたり変形するおそれがあるので、ベースフイルムには高ヤング率が要求される(1欄32行ないし42行)。
また、テープが戸外や自動車内等の過酷な温度条件に曝される場合が多いので、ベースフイルムの寸法安定性も要求される(1欄43行ないし47行)。
他方、高画質化及び高密度記録化の要求を満たすためには、ベースフイルムの表面が平坦で、滑り性及び取扱い性に優れていることが必要である(2欄21行ないし24行)。
従来のベースフイルムは、以上の要求を満足するものではない。本件発明の目的は、平坦性、易滑性及び耐久性を兼備する、磁気記録媒体の製造に有用なベースフイルムを創案することである(2欄41行ないし44行)。
2 構成
上記の目的を達成するために、本件発明は、その特許請求の範囲記載の構成を採用したものである(1頁左下欄2行ないし1欄24行)。
3 作用効果
本件発明によって得られるポリエチレン-2、6-ナフタレートフイルムは、表面が平坦で高突起がなく、高ヤング率で、しかも、寸法安定性に優れたものであるから、高品質テープ用のベースフイルムとして極めて有用である(11欄31行ないし34行)。
第3 そこで、原告主張の決定取消事由の当否について検討する。
1 本件第1発明と引用例1記載の発明との相違点の判断について
(1)原告は、引用例2記載の発明のフイルムの材料であるポリマーは、引用例1記載の発明のフイルムの材料であるポリマーとは種類を異にするところ、同じフイルムであっても、ポリマーの種類の相違によって利用しうる分野が異なるから、引用例2記載の技術的事項を引用例1記載の発明に適用することは困難である旨主張する。
検討すると、甲第2号証によれば、引用例2には、「本発明におけるポリエステルとは、主たる繰り返し単位がエチレンテレフタレートからなるポリエステルであり」(4頁右上欄4行ないし6行)と記載されていることが認められ、一方、甲第1号証によれば、引用例1には、「本発明のポリエチレンナフタレートとは、(中略)好ましくはポリエチレン-2、6-ナフタレートそのもの(中略)を意味する。」(2頁左下欄1行ないし6行)と記載されていることが認められる。
しかしながら、甲第3、4、7号証によれば、引用例3、4、7記載の発明はいずれも「二軸配向ポリエステルフイルム」に関するものであって、これらの引用例には、「本発明において、ポリエステルとしては例えばアルキレンテレフタレート及び/又はアルキレンナフタレートを主たる構成成分とするものが好ましく用いられる。かかるポリエステルのうちでも、例えばポリエチレンテレフタレート、ポリエチレン-2、6-ナフタレート(中略)が好ましい。」(甲第3号証の3頁牢上欄13行ないし右上欄3行、甲第4号証の3頁右上欄2行ないし12行、甲第7号証の4頁左上欄13行ないし右上欄3行)と記載されていることが認められる。
また、甲第6号証によれば、引用例6記載の発明は「ポリエステル組成物」に関するものであって、同引用例には、「ポリエチレン-2、6-ナフタレートの二軸延伸フイルムが注目されており、この機械的強度、耐熱性はポリエチレンテレフタレート二軸延伸フイルムのそれよりも優れていることが明らかにされている。ポリエチレンテレフタレートフイルムの場合と同様に、ポリエチレン-2、6-ナフタレートの二軸延伸フイルムの場合も、フイルム製造工程における工程通過性や巻き特性、塗布や蒸着等の後加工工程における取扱い性に支障をきたさないように滑り性を良くする必要がある。このためには、ポリエチレンテレフタレートの場合にはポリマー中に微細な粒子を含有せしめ、フイルム表面に適度の凹凸を与えて、フイルムの滑り性を向上させるという手法が行なわれており、ポリエチレン-2、6-ナフタレートフイルムに関しても適用することができる。」(2頁左上欄6行ないし右上欄2行)と記載されていることが認められる。
これらの記載によれば、ポリエチレンテレフタレートとポリエチレン-2、6-ナフタレートとは、磁気記録媒体のベースフイルムの材料として、ほとんど同列に慣用されていることが明らかである。
したがって、材料であるポリマーの種類が異なることを論拠として、引用例2記載の技術的事項を引用例1記載の発明に適用することは困難であるとする原告の主張は、採用することができない。
(2)原告は、本件第1発明と引用例2記載の発明とは、突起数と突起高さとの関係を満足する領域が明らかに異なっている旨主張する。
検討すると、本件第1発明のフイルムの表面特性と、引用例2記載の発明のフイルムの表面特性とを対比すれば、
a 本件第1発明において表面特性を特定する対象領域の突起数(30ケ/mm2以上)は、引用例2記載の発明において表面特性を特定する対象領域の突起数(20ケ/mm2以上)よりも制限されている
b 本件第1発明において突起分布曲線が満たすべき条件(分布曲線と交叉する直線log10y=-12x+3.7、最大突起高さ0.2μm)は、引用例2記載の発明において突起分布曲線が満たすべき条件(分布曲線と交叉する直線log10y=-18x+3.7、最大突起高さ0.13μm)よりも緩和されている
ということができる。これを要するに、本件第1発明のフイルムの表面特性と、引用例2記載の発明のフイルムの表面特性との間には、有意の差異はないということができるから、原告の上記主張も、採用することができない。
そうすると、引用例1記載の発明のフイルムに、引用例2記載の発明の表面特性を適用するに際し、試行によって、本件第1発明の要件である表面特性の数値を得ることは容易であったとする決定の判断は、正当として肯認できるものである。
(3)以上のとおりであるから、本件第1発明と引用例1記載の発明との相違点に関する決定の判断に誤りはない。
2 本件第1発明によって得られる作用効果について
決定は、本件第1発明のフイルムの電磁変換特性は引用例2記載のフイルムの電磁変換特性と同程度であり、また、本件第1発明のフイルムの機械的特性は引用例1記載のフイルムの機械的特性と実質的差異がない旨判断している。
この点について、原告は、本件第1発明のフイルムの電磁変換特性は、引用例2記載のフイルムの電磁変換特性を上回るものであるから、決定の上記判断は、本件第1発明によって得られる作用効果の顕著性を看過したものである旨主張する(なお、引用例1記載の発明のフイルムが、前記のとおり、本件第1発明と同じくポリエチレン-2、6-ナフタレートを材料とするものである以上、両者の機械的特性に実質的な差異がないことは当然である。)。
検討すると、甲第2号証によれば、引用例2には、同引用例記載の発明の実施例の「4MHzでのビデオ出力(dB)」が+8.0~9.5、「CN比」が+6.5~8.5と記載されていることが認められる(7頁の表-1)。一方、甲第10号証によれば、本件発明の特許公報には、本件発明の実施例の「4MHzでのビデオ出力(dB)」が+8.3~9.0、「CN比」が+6.8~8.2と記載されていることが認められる(10頁、11頁の表1)。
これらの数値は、それぞれ一部重複することが明らかであるから、本件第1発明のフイルムの電磁変換特性は引用例2記載のフイルムの電磁変換特性と同程度であるとした決定の判断に、何ら誤りはない。
以上のとおりであるから、決定は本件第1発明によって得られる作用効果の顕著性を看過している旨の原告の主張は、採用することができない。
3 本件第2発明と引用例1記載の発明との相違点の判断について
原告は、引用例1記載の発明の要件である熱収縮率が、磁気テープの製造工程における高温条件に耐えるフイルムの寸法安定性を意図しているのに対し、引用例2記載の発明の要件である熱収縮率は、磁気テープの長期使用に耐えるフイルムの寸法安定性を意図するものであって、両者の熱収縮率は技術的意義を異にするものであるから、引用例1記載の発明に引用例2記載の発明の表面特性を適用するに際して、引用例2記載の発明の熱収縮率特性をも適用する動機付けは存在しない旨主張する。
検討すると、引用例2記載の発明の特許請求の範囲には、決定認定のとおり「70℃で1時間無荷重下で熱処理したときのフイルムの縦方向の熱収縮率が0.1%以下である」ことが記載されているが、甲第2号証によれば、引用例2には、「本発明においては縦方向のヤング率が650kg/mm2以上(中略)が必要である。しかしながら、高ヤング率を付与するには、縦方向に高い倍率(中略)で延伸する為にフイルム残留ひずみが大きく、縦方向の熱収縮率が高くなるのが通例である。その結果として70℃で1時間以上無荷重下で熱処理したときのフイルムの縦方向の熱収縮率が0.1%より大きくなることと、磁気テープにした後のスキューが10μsecを越え、テレビ受像機によっては画面に歪が現れ貴重な記録が台無しになる場合すらある。それ故、熱収縮率は0.1%以下(中略)とする必要がある。」(3頁右下欄12行ないし4頁左上欄7行)と記載されていることが認められる。この記載によれば、引用例2記載の発明は、テープのスキュー(歪み)を抑制する目的で、ベースフイルムの熱収縮率を低く規定したものであると解することができる(なお、本件第2発明の特許請求の範囲には、決定認定のとおり、「70℃で1時間無荷重下で熱処理したときのフイルムの縦方向の熱収縮率」と記載されているところ、甲第10号証によれば、本件発明の特許公報には、「テープ加工工程において一般的には熱収縮率は低くなるが、ベースフイルムの熱収縮率が高いとテープの熱収縮率もこれに対応して高くなる。そしてテープのスキューが大きくなるという新しい別の問題が生じる。」(4欄35行ないし39行)と記載されているから、本件第2発明の要件である熱収縮率は、引用例2記載の発明にいう熱収縮率と技術的意義が同一であることが認められる。)。
一方、甲第1号証によれば、引用例1には、「フイルム面内のあらゆる方向において、150℃における熱収縮率が2.5~3.5%(中略)でなければならない。熱収縮率が3.5%(中略)より大きいと熱に対する寸法安定性の点で、高精度磁気記録材料ベースとしては不適当なものになる。熱収縮率は小さければ小さいほど寸法安定性の点で望ましい。(中略)本発明では下限値2.5%が極限である。」(2頁右下欄16行ないし3頁左上欄5行)と記載されていることが認められる。この記載によれば、引用例1記載の発明は、高精度磁気記録材料の寸法安定性の見地から、ベースフイルムの熱収縮率は小さければ小さいほど望ましいとの知見に基づいて、具体的には150℃における熱収縮率を規定していると解することができる。
そうすると、引用例2記載の発明においてベースフイルムの熱収縮率を規定する目的と、引用例1記載の発明においてベースフイルムの熱収縮率を規定する目的との間に、技術的な差異は存在しないことが明らかである(熱収縮率の規定を、70℃の条件下でするか、150℃の条件下でするかの点において、差異があるにすぎない。)。
したがって、引用例1記載の発明に引用例2記載の発明の表面特性を適用するに際して、引用例2記載の発明の熱収縮率特性をも適用する動機付けは存在しない旨の原告の主張も、採用することができない。
4 なお、原告は、本件第2発明及び本件発明の請求項3ないし5記載の発明について、その他の点の判断は本件第1発明に対する判断と同じである旨の決定の説示を論難するが、本件第1発明と引用例1記載の発明との相違点の判断に誤りがないことは、前記1のとおりである。
5 以上のとおりであるから、本件発明の請求項1ないし5に係る発明はいずれも特許法29条1項の規定に該当するとした決定の認定判断は、正当であって、決定には原告主張のような違法はない。
第4 よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は、失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結日 平成11年1月26日)
(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 春日民雄 裁判官 宍戸充)
理由
1、本件発明
本件特許第2528960号の請求項1ないし5に係る発明は、特許明細書及び図面の記載からみて、その特許請求の範囲の請求項1ないし5に記載された次の事項により特定されるとおりのものである。
「請求項1
縦方向のヤング率(My)と横方向のヤング率(Ty)のいずれも650kg/mm2以上で且つその差IMy-Ty1が200kg/mm2以下であり、表面粗さRaが0.003μm以上0.010μm未満であり、その表面において、突起数30ケ/mm2以上の領域で求めた突起数(y:ケ/mm2)と突起高さ(x:μm)との関係を表わす分布曲線において該突起分布曲線の最大値より大きい部分の曲線がlog10y=-12x+3.7(以下この式を特定線分という)と交叉し、且つこの領域で0.2μm以上の突起は存在しないことを特徴とする磁気記録媒体用二軸配向ポリエチレン-2、6-ナフタレートフイルム。
請求項2
70℃で1時間無荷重下で熱処理したときのフイルムの縦方向の熱収縮率が0.15%以下である請求項1記載の磁気記録媒体用二軸配向ポリエチレン-2、6-ナフタレートフイルム。
請求項3
粒径比(長径/短径)が1.0~1.2で且つ下記の式で定義される粒子の相対標準偏差が0.5以下であり、且つ平均粒径が0.005~0.6μmであるシリカ、シリーコーン樹脂粒子及び架橋ポリスチレン粒子から選ばれる1種以上の球状微粒子を0.005~3wt%含む請求項1又は2に記載の磁気記録媒体用二軸配向ポリエチレン-2、6-ナフタレートフイルム。
<省略>
ここで、Di:個々の粒子の面積円相当径(μm)
D:面積円相当径の平均値
<省略>
n:粒子の個数
を表わす。
請求項4
シリカ粒子が有機金属化合物をアルコール性溶液中で加水分解して得られたものである請求項3に記載の磁気記録媒体用二軸配向ポリエチレン-2、6-ナフタレートフイルム。
請求項5
球状微粒子と他の不活性の無機若しくは有機添加物粒及び/又はポリマー中に析出した触媒残渣等を含む粒子とを含む請求項3に記載の磁気記録媒体用ニ軸配向ポリェチレン-2、6-ナフタレートフイルム。」
2、引用刊行物記載の発明
刊行物1:特開昭59-127730号公報
「ポリエチレンナフタレートを主体とする2軸配向フィルムであつて、該フィルムは、面内のあらゆる方向において、
(イ)F-5値が22~35kg/mm2
(ロ)ヤング率が650~1100kg/mm2
(ハ)熱収縮率が2.5~3.5%
の各範囲にあり、かつ該(イ)、(ロ)、(ハ)項の各物性値と、フィルムの熱膨張係数および湿度膨張係数の各値は、何れも面内偏差が20%以下であり、かつフィルムは、複屈折が0.02以下、非晶配向係数が-0.2~0.2の範囲にあることを特徴とする2軸配向ポリエチレンナフタレートフィルム。」(特許請求の範囲)
「本発明は異方性が少なく、かつ優れた機械的性質と良好な寸法安定性を有する2軸配向ポリエチレンナフタレートフィルムに関する」(第1頁左下欄18~20行)
「本発明のポリエチレンナフタレートとは、・・・ポリエチレン-2、6-ナフタレート・・・を意味する」(第2頁左下欄1~6行)
「また、該ポリエチレンナフタレートに・・・微粒子シリカ・・・などの滑剤等が含まれていてもよい。」(第2頁左下欄9~12行)
「ポリエチレンナフタレートを主体とする2軸配向フィルムであつて、縦方向のヤング率(My)と横方向のヤング率(Ty)のいずれも650kg/mm2以上で且つその差IMy-Ty1が200kg/mm2以下であるもの。」(第6頁表1-(1)の各実施例)
刊行物2:特開昭61-239930号公報
「(1)突起数20ケ/mm2以上の領域で求めた突起数(y:ケ/mm2)と突起高さ(x:μm)との関係を表わす分布曲線において該突起分布曲線の最大値より大きい部分の曲線が式log10y=-18x+3.7と交叉し、且つ突起高さ0.13μm以上の突起は存在せず。
(2)表面粗さ(Ra)が0.012μm以下であり
(3)縦方向のヤング率が650Kg/mm2以上であり
(4)70℃で1時間無荷重下で熱処理したときのフイルムの縦方向の熱収縮率が0.1%以下である
の特性を備えていることを特徴とする磁気記録用ポリエステルフイルム。」(特許請求の範囲)
「本発明は磁気記録用二軸延伸ポリエステルフィルムに関し、更に詳しくは電磁変換特性にすぐれた磁気記録媒体の製造に有用な、高ヤング率二軸延伸ポリエステルフィルムに関する」(第1頁右下欄3~7行)
「不活性個体微粒子としては、・・・特に好ましくは、二酸化ケイ素・・・が挙げられる。これら不活性個体微粒子はその平均粒径が0.05~0.6μm、・・・またその添加量は0.01~1.5重量%・・・であることが好ましい。」(第2頁右下欄3行~第3頁左上欄16行)
「本発明におけるポリエステルとは、主たる繰り返し単位がエチレンフタレートからなるポリエステルであり、」(第4頁右上欄4行~6行)
刊行物3:特開昭63-235339号公報
「1、ポリエステル中に、第1成分として平均粒径が0.05~4μmであり且つ粒径比(長径/短径)が1.0~1.2である球状シリカ粒子を0.005~2重量%含有し、第2成分として平均粒径が0.01~2.5μmである内部析出粒子を0.005~3重量%含有することを特徴とする二軸配向ポリエステルフィルム。
2、球状シリカ粒子の下記式で表される相対標準偏差が0.5以下であることを特徴とする特許請求の範囲第1項記載の二軸配向ポリエステルフィルム。
<省略>
ここで、Di:個々の粒子の面積円相当径(μm)
D:面積円相当径の平均値
<省略>
n:粒子の個数
を表わす。」(特許請求の範囲)
「本発明は二軸配向ポリエステルフィルムに関し、更に詳しくは特定の球状シリカ微粒子及び内部析出粒子を含有し、耐削れ性に優れ、更には滑り性の改善された二軸配向ポリエステルフィルムに関する。」(第1頁右下欄下11行~7行)
「本発明において、ポリエステルとしては・・・ポリエチレン-2、6-ナフタレートはもちろん」(第3頁左上欄13~19行)
刊行物4:特開昭63-61028号公報
「1、ポリエステル中に、第1成分として平均粒径が0.4~2μmでありかつ粒径比(長径/短径)が1.0~1.2である球状シリカ粒子を0.005~0.5重量%含有し、かつ第2成分として平均粒径が第1成分より小さいが0.05~0.6μmの範囲にある他の不活性無機微粒子を0.005~0.5重量%含有することを特徴とする二軸配向ポリエステルフィルム。
2、球状シリカ粒子の下記式で表される相対標準偏差が0.5以下である特許請求の範囲第1項記載の二軸配向ポリエステルフィルム。
<省略>
ここで、Di:個々の粒子の面積円相当径(μm)
D:面積円相当径の平均値
<省略>
n:粒子の個数
を表わす。」(特許請求の範囲)
「本発明は二軸配向ポリエステルフィルムに関し、更に詳しくは特定の球状シリカ微粒子とこれより小さい粒径の不活性無機微粒子を含有し、滑り性及び耐削れ性に優れた二軸配向ポリエステルフィルムに関する。」(第1頁右下欄9行~13行)「本発明において、ポリエステルとしては・・・ポリエチレン-2、6-ナフタレートはもちろん」(第3頁右上欄2~8行)
刊行物5:特開昭62-207356号公報及び
刊行物6:特開昭64-155号公報
ポリエステルフィルムの滑剤として用いられる粒度の均一な球状シリカが「有機金属化合物をアルコール性溶液中で加水分解して」得られること
刊行物7:特開昭63-286438号公報
ポリエステルフィルムの易滑性を改善するために、滑剤として球状のシリコン樹脂微粒子に加えて、他の不活性粒子を用いること
刊行物8:特開昭59-217755号公報
滑性改善のために用いる添加微粒子として、粒径が均一(粒度分布が狭い)な架橋ポリスチレン粒子が好ましいこと
3、本件各請求項に係る発明と各引用刊行物記載の発明との対比・判断
(請求項1に係る発明)
本件請求項1の発明と刊行物1の発明とを対比すると、刊行物1、特にその第6頁表1-(1)には、実施例として、縦方向のヤング率(My)と横方向のヤング率(Ty)のいずれも650kg/mm2以上で且つその差|My-Ty|が200kg/mm2以下であり、優れた機械的性質と良好な寸法安定性を有する2磁気記録媒体用二軸配向ポリエチレン-2、6-ナフタレートフイルムが記載されており、この各実施例におけるフィルムのヤング率の特性数値は本件請求項1の発明のものと一致している。
しかし、刊行物1には、本件請求項1の発明における「フィルムの表面粗さRaが特定範囲にあること、突起の高さ分布曲線と特定線分とが交叉することおよび特定高さ以上の突起は存在しないこと」(以下「表面特性」という)という要件については記載されていない点で相違している。
そこで、この相違点を検討すると、刊行物2には前記「表面特性」を備えた電磁変換特性にすぐれた、磁気記録媒体の製造に有用な高ヤング率二軸延伸ポリエステルフィルムが記載されていて、それら表面特性の特定数値は、ほぼ本件請求項1の発明のフィルムのものと一致している。
そして、刊行物1の発明のポリエチレン-2、6-ナフタレートフィルムと刊行物2の発明のポリエチレンテレフタレートフィルムはともにポリエステルフィルムであるところから、刊行物1の優れた機械的性質と良好な寸法安定性を有するポリエチレン-2、6-ナフタレートフィルムに対して、さらに電磁変換特性を向上させる目的をもって、電磁変換特性がすぐれているとされている刊行物2記載のポリエレンテレフタレートフィルムの表面特性を採用し、本件請求項1の発明を構成することは当業者が容易に想到しうることである。
ただ、表面特性の特定数値において刊行物2のフィルムと本件請求項1の発明のフィルムとはほぼ重複しているものの若干相違している部分があるが(特に、特定線分の傾斜定数などは相違している)、これらの数値の違いは刊行物1の発明のポリエチレン-2、6-ナフタレートフィルムに、刊行物2記載のポリエチレンテレフタレートフィルムの表面特性を適用するに際して生ずる微差にすぎず、本件請求項1の発明におけるこれら特定数値は試行により容易に見出しうるものであると認められる。
そして、本件請求項1の発明のフィルムの電磁変換特性(本件特許公報第10頁表1の4MHZでのビデオ出力、CN比、スキュー)は、刊行物2記載のフィルムの電磁変換特性(第7頁表-1)と同程度であり、機械的特性は、刊行物1記載のものと実質的な差異はみられないから、本件請求項1の発明の効果は全体として特に予測し得ないものであるとはいえない。
(請求項2に係る発明)
刊行物2の発明のフィルムは、前記表面特性に加えて、さらに「70℃で1時間無荷重下で熱処理したときのフイルムの縦方向の熱収縮率が0.1%以下」(縦方向のヤング率は650Kg/mm2以上)の特性をもつものであるから、刊行物1の発明に対して刊行物2の発明における表面特性を適用するに際して、この熱収縮率の特性をさらに適用することは容易になしうることである。
(刊行物1の「下限値2.5%が極限」という記載は、測定温度が150℃の場合のものであって、測定温度70℃の場合まで規定するものではない)
ただ、本件請求項2の発明と刊行物2の発明において、熱収縮率の数値が若干相違しているが、この数値の違いは刊行物1の発明のフィルムに、刊行物2記載のフィルムの熱収縮率を適用するに際して生ずる微差にすぎず、本件請求項2の発明における数値は試行により容易に見出しうるものであると認められる。
その他の点についての判断は、請求項1の発明に対する判断と同じである。
(請求項3に係る発明)
刊行物1には、「また、該ポリエチレンナフタレートに・・・微粒子シリカ・・・などの滑剤等が含まれていてもよい。」と記載されており(第2頁左下欄9~12行)、一方、ポリエステルフィルムの滑剤として球状の粒子(シリカ、シリコーン樹脂粒子または架橋ポリスチレン粒子)を本件請求項3の発明とほぼ同じ特定量配合するのが有効であることが刊行物3~8に記載されており、特に刊行物3及び4には本件請求項3の発明とほぼ同じ「特定粒径比、特定相対標準偏差、特定平均粒径」を有する球状シリカが滑剤として有効であると記載されているから、かかる球状シリカをフィルムの易滑性改善を目的として刊行物1の「微粒子シリカ」として採用することは容易になしうることである。
ただ、刊行物3又は4の球状シリカにおける前記特定数値(平均粒径など)と本件請求項3の発明のフィルムにおける特定数値とは若干相違している部分もあるが、これらの数値の違いは刊行物1に記載されている微粒子シリカとして、刊行物3又は4に記載されている球状シリカを適用するに際して生ずる微差にすぎず、本件請求項3の発明におけるこれら特定数値は試行により容易に見出しうるものであると認められる。
その他の点についての判断は、請求項1および2の発明に対する判断と同じである。
(請求項4に係る発明)
「有機金属化合物をアルコール性溶液中で加水分解して得られた」シリカ粒子が、ポリエステルフィルムの滑剤として有効であることが、刊行物5及び6に記載されているから、かかるシリカを本件請求項3のシリカとして用いることは容易に想到しうることである。
その他の点についての判断は、請求項3の発明に対する判断と同じである。
(請求項5に係る発明)
「球状微粒子と他の不活性の無機若しくは有機添加物粒及び/又はポリマー中に析出した触媒残渣等を含む粒子」が、ポリエステルフィルムの滑剤として有効であることが、刊行物3、4及び7に記載されているから、滑剤としてかかる混合粒子を用いることは容易である。
その他の点についての判断は、請求項3の発明に対する判断と同じである。
4、むすび
上記の通り、本件請求項1ないし5に係る発明は上記刊行物1~8に記載された発明に基いて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるから、本件請求項1ないし5に係る特許は特許法第29条第2項の規定に違反してされたものであり、同法第113条第1項2号に該当する。
別紙 参考図
<省略>